伊賀焼

伊賀焼とは

天正の終わりに領主となった筒井定次や藤堂高虎、高次の時代、お庭焼として茶人の古田織部などの指導のもと、荒々しく美意識を持った茶陶の水指や花入が焼かれました。この時代を総称した古伊賀は「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」といわれます。茶陶の水差や花生けは耳を持つものが多く残されているためです。
寛文の頃に、白土山の陶土濫掘防止のため衰退します。以降幾多の興亡を繰り返しながら、天保末期からその耐火耐熱度を活かした土鍋、行平などの生活雑器を量産し、現在に至ります。
特徴

この耐火性が高く、蓄熱性に富んだ土鍋は他にはありません。また歴史が積み重ねた経験値で、土鍋の厚みや形状が作られています。一度使うと手放せない、そんな調理具を作っているのが伊賀の里にあります。
窯元紹介

食いしん坊では負けないのですが、ここの土鍋は外せません。しかも難しい火加減とか要領を気にしなくても、ちゃんと美味しくなります。伊賀を知り尽くした、陶工の秀作です。
