小鹿田焼
小鹿田焼とは
小鹿田焼をご存知ですか。
小石原から招かれた陶工、柳瀬三右衛門が宝永2年に開窯したようです。小石原焼と似ているのは、こうした歴史があるからです。素朴な民陶ですが、一子相伝(長子相続)をかたくなに守り続けていて、現在10軒の窯元があります。
注目をあびたのは昭和6年。民芸運動の柳宗悦が訪れ、小鹿田焼を評価する一文を残しました。また昭29と39年にバーナード・リーチが訪れ、飛び鉋の技法に驚き学び、有名な所となりました。
江戸の開窯以来の伝統的な技法どおり作られているため、平成7年に国の重要無形文化財に指定されています。また平成20年には、地区全体が「小鹿田焼の里」の名称で重要文化的景観として選定されています。
小石原から招かれた陶工、柳瀬三右衛門が宝永2年に開窯したようです。小石原焼と似ているのは、こうした歴史があるからです。素朴な民陶ですが、一子相伝(長子相続)をかたくなに守り続けていて、現在10軒の窯元があります。
注目をあびたのは昭和6年。民芸運動の柳宗悦が訪れ、小鹿田焼を評価する一文を残しました。また昭29と39年にバーナード・リーチが訪れ、飛び鉋の技法に驚き学び、有名な所となりました。
江戸の開窯以来の伝統的な技法どおり作られているため、平成7年に国の重要無形文化財に指定されています。また平成20年には、地区全体が「小鹿田焼の里」の名称で重要文化的景観として選定されています。
特徴
代表的装飾技法に、櫛目文・指描き・流掛け・そして刷毛目文と飛び鉋があります。釉薬には、ふうし釉・飴釉・真黒・地・黄なだれ・白なだれ・黄釉・薄緑釉などがあります。今でも水車と唐臼で粘土を挽き、蹴轆轤、登り窯という昔からの技法を頑に守っています。
昭和53年と記憶しています。当時の組合長をしておられた窯元のご主人の黒木利保さんから「昭和39年にイギリスの先生が来られました。その時『何があろうとも、作り方や技法を変えてはいけない。』と教えられたんです。それを守って、何も変えず作っているんです」、とお聞きしています。大きな大きな壺を引かれていました。
昭和53年と記憶しています。当時の組合長をしておられた窯元のご主人の黒木利保さんから「昭和39年にイギリスの先生が来られました。その時『何があろうとも、作り方や技法を変えてはいけない。』と教えられたんです。それを守って、何も変えず作っているんです」、とお聞きしています。大きな大きな壺を引かれていました。
窯元紹介
黒木富雄窯
先代からのお付き合いです。黒木富雄さまと昌伸さまのお二人で作陶されています。小鹿田は男性が轆轤を引き、施釉は女性の方のお仕事のようです。ですから当店にも、三代の作品が有ります。少しずつ違いがあって、見ていると楽しいす。黒木富雄窯さんは共同窯。かなり大きいもので、温度を上げるのは大変だと思います。伊賀の陶工さんと話をした時、小鹿田の登り窯の話題となり「とてもあんなに大きいのは焚けません」と感心していました。誠実なお仕事をされる窯元です。
先代からのお付き合いです。黒木富雄さまと昌伸さまのお二人で作陶されています。小鹿田は男性が轆轤を引き、施釉は女性の方のお仕事のようです。ですから当店にも、三代の作品が有ります。少しずつ違いがあって、見ていると楽しいす。黒木富雄窯さんは共同窯。かなり大きいもので、温度を上げるのは大変だと思います。伊賀の陶工さんと話をした時、小鹿田の登り窯の話題となり「とてもあんなに大きいのは焚けません」と感心していました。誠実なお仕事をされる窯元です。